僕と私

もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。ただこころもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ましたが、たしかに少しわらって居りました。
<よだかの星 宮沢賢治>



それは、一つの儀式のように、毎日毎晩繰り返す。
「死にたいんだ」
僕が呟くと、隣の彼女は優しく僕の髪を梳く。
「私は飛びたい」
彼女は必ずこう答える。
僕にとって死にたいという願望を口にするのはある意味では生きていく為でもあった。
死にたいというより、存在したくない、そういう願い。僕には存在する価値がない。彼女はそんな僕に一度だって生きろと言ったことはなかった。それでいて、だらだらと生き続ける僕を許してくれた。

『飛びたい』とはどういう意味だろうと、僕は何度も考えた。
ある日彼女に尋ねた。飛んで何をするの? と。
彼女はくすくす笑いながら僕の胸に顔を埋めた。そして胸の中でこう答えた。
「あなたは、死んで、何をするの?」
僕にはさっぱり分からなかった。

ある日、彼女は死んでしまった。それはとてもあっけなかった。
風邪薬をたくさん飲んで。
自殺だった。
風邪薬を飲んだぐらいで死ねるわけがない。そう簡単に死ねるわけがない。けれど、彼女は死んでしまった。

死にたい、といった僕がまだ生きている。
飛びたい、といった彼女はもう死んでしまった。
だから、かわりに僕が飛ぶんだ。
高いビルに登って下を見下ろすと、人が豆粒のように、車がマッチ箱のように見えた。
飛びたいといった彼女は、笑っていたっけ。
僕の体がふわりと宙に浮いた。



そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。
今でもまだ燃えています。
<よだかの星 宮沢賢治>