鬱病日記 2006年1月21日

私は呟く

妹が隣でマニキュアを塗りながらジョニーデップのFinding Neverlandを観ている。部屋の中はマニキュアの匂いでいっぱいだ。私は今朝コンビニで買った新製品のタバコ、セッターREVOに火をつける。猫がにゃあと鳴いた。彼はメインクーンのお年寄りだ。弟のロシアンブルーは姿が見えない、ということは十中八九コタツの中で伸びているのだろう。
ジョニーデップが言う「彼らは無邪気な子供だ」
人は皆無邪気な子供だった時代を持っている。私も妹も、今お風呂に入っている父もきっとそんな時代があったのだろう。
私は今死にたいと思っている。人はこれを病気だという。父も母も。
医師はこれに鬱病と名前をつけた。

私は生きている。何故生きているのか、何度も何度も考える。繰り返し、繰り返し。何故生きている、何故産まれてきた、何故死なない。心臓が鼓動を続けるからか、脳が考え続けるからか。
夜、あまり眠れない。
何故生きているのか。産まれてきたからだ。
何故産まれてきたのか。父と母が避妊せずにセックスをし、母が子を産むことを決めたからだ。父と母は離婚した。それでも私は生きている。
何故生きているのか、ようやく分かったことがある。それは、まだ死んでいないからだ。
自殺をした。遠い昔、三ヶ月前、手首を切れば死ねると思っていた。睡眠薬を大量に飲めば死ねると思っていた。
死ねなかった。
首を吊った。
それでも死ねなかった。
カッターや剃刀、はさみですらも取り上げられた。
今までに五匹の猫を飼った。猫はやわらかく温かい。二匹は既に死んだ。死体は最初やわらかく温かく、次第に硬く冷たくなった。
本で、漫画で、映画で、テレビで、ゲームで、登場する生き物は、容易く死んでいく。私も同じように、簡単に死ねると思っていた。
何故死にたいと思うのか。その理由は分からない。ただ居たくないと思うのだ。同じ毎日の繰り返し、繰り返し、繰り返し。

妹がマニキュアを塗り終えて、お茶を飲んでいる。父は風呂から上がった。メインクーンが牛乳をねだってにゃあと鳴く。
テレビではジョニーデップが寝ている女性の顔を見つめている。彼女はもうすぐ死ぬ。Finding Neverlandは以前見たことがあるので結末は覚えている。彼女はネバーランドで永遠に暮らすのだ。だけどたぶん現実の死はそんなものじゃない。まだ死んだことがないので確かなことは言えないが。

家族が、恋人が、友人が、「死ぬな」という。何故だ。何故死んではいけないのだろう。わからない。
この人たちはどうして生きていることが出来るのだろう。